今なぜ「ふるさとルネサンス」なのか

 2004年6月19日講座の開講式に当たって:白井啓治) 

ふるさと文化とは、その風土固有の生活形成の様式と内容である。こんな風な言い方をすると、分かったようでさっぱり分からない定義になってしまいます。ふるさと文化をもっと平ッたく考えてみると「その風土に生活する知恵」ということができます。

一つの文化には一つの暮らしがあり、一つの暮らしのあるところ一つの生産があります。少し理屈っぽい言い回しになりますが、暮らしがなければ文化はないし、生産がなければ暮らしは成り立ちません。当然のことですが生産がなければ文化はありません。つまり、文化がなければ生産はないし、暮らしもないということになります

ふるさとに一つの文化が消えたということは、一つの生産がなくなり、一つの暮らしがなくなったということになります。生活が一つなくなってしまうのです。何故なら、生活する知恵を一つ失ったからです。

ふるさと文化にはいろいろな側面がありますが、それらの一つ一つにはそれぞれの伝説だとか云われ等があり、それらは伝承という形で受け継がれることによって日常生活の知恵となって活かされ暮らしを支えてきました。

ふるさとにはそれぞれ特徴的な産業が発展してきましたが、その裏を見ると、その産業にまつわる伝説や民話が必ず伝承されてあるものです。そしてそれは、その土地の人達の間に確りと認知されて口にのぼります。しかし、不思議なことにその産業の衰退にあわせて認知されていた伝説や民話が人々の口にのぼらなくなり、忘れられていきます。そして、その伝説や民話がすっかり忘れられたときには、その産業もなくなってしまいます。

ここにふるさと文化をルネサンスし、ふるさとの活性化を考えた人材の育成のための塾が開かれることとなり、その第一段階として「民話ルネサンス講座」をスタートさせることになりました。この講座は、ふるさと文化の一つである民話というところに視点を置いて、伝承を創造していく市民作家の育成を目指しています。

一つの文化を伝承していくためには、単純に埋もれた文化を掘り起こしていくだけではダメで、そこに受け継いでいこう、伝えていかなければ、という将来に対する必然性を持たせることが必要です。必然性という言葉が嫌なら有用性とか必要性といっても良いし、理由といっても構いません。何れにせよ将来にとって無意味なものであれば、伝えたり、受け継いだりされることはありません。

市民作家として伝承を創造するということは、掘り起こした文化(この講座では民話ということになりますが)に対して、伝えるに値するものがあるかを検証すると同時に、すり減ったり、時代的に不都合ができたりしている部分に対して、新たな価値を再構築して与える、ということです。新たな価値を再構築しない限り、受け継ぐ側に、受け継ぐべき必然性が認められなくなってしまいます。

今何故、ふるさと文化のルネサンスが必要なのかを考えたとき、その答えは伝承ということの意義を考えてみると納得できます。伝承の意義というのは、受け継ぐに値する価値だとか理由ということの中身になるわけですが、その中身とは、個人的な考えではありますが「未来の思い出」という風に捉え、考えています。未来の思い出とは、未来への道標だとか未来への一里塚と理解して頂ければ良いだろうと思います。

伝承が途絶えたというのは、伝承の意義である未来の思い出(未来への道標、一里塚)としての役割がなくなったからだと言えます。それは文化の火が一つ消えたということになります。先に述べたように、文化の火が一つ消えたということはその地域での生活が一つ消えたということに繋がります。そして大袈裟にいえば生産が一つなくなったとも言えます。多くの伝承文化がなくなるということは多くの生産がなくなるということですから、多くの生活がなくなることを意味します。

これはかなりこじつけの説と言えますが、「古里」と書く「ふるさと」とは、十世代にわたって口伝するもののある里のこと、という人がいます。しかし、この説はあながち笑えない説であろうと思います。

民話というのはふるさと文化の一つの側面ですが、伝承されてきた民話がなくなってしまったというのは、そこにはもう生活するための生産がなくなったことを意味し、生活する場所ではなくなったと言うことができます。これは決して大袈裟な考えではないでしょう。  

伝承するふるさと文化が一つ無くなるというのは、ふるさととしての役割が一つ無くなったということになり、暮らしの歴史が一つ無くなったということになります。

歴史の里石岡に来て、最初に耳にした言葉が「歴史では飯が喰えん」でした。歴史というのは生活することによって文化として紡がれていくものですから、歴史では飯が喰えんというのは実におかしな理屈です。歴史を紡ぐことを忘れて、歴史では飯が喰えんとは何事かと思ったものでした。

民話をルネサンスするということは、昔を思い起こす、昔の文化に今一度光を与えるということではなく、自分達の生活の場であるふるさとに生活できる生産を持つことであると理解して、受講者の皆さんには確かな市民作家活動の展開を願っております。同時に、開講式にご出席頂きました方々には、あたたかいご支援が頂けたらと、お願い申しあげます。

   

 

 

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