歴史ガイドに同行して(7)
兼平ちえこ (2008.11)
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この街に来ると
少年の自分に会えるんです
少年の自分が駆けてくるんですよ
時々、この街に来てますよ
こんな素敵な表現をされて、こんな素敵な時を楽しまれている、水戸からいらして下さる団塊世代の男の方に出会ったのが中町通りでした。
今回の「常陸国風土記を歩く会」の皆さんへのご案内は、そんな恋しい街、中町通りから
G清凉寺 H金刀比羅神社 I本浄寺をご紹介しましょう。
G清凉寺
所在地、国府六丁目二ノ三。宗派、曹洞宗。本尊、虚空蔵菩薩。元徳二年(一三三〇)大掾高幹が尼寺が原に建立。国分尼寺の一大伽藍の一つであった。文明十二年(一四八〇)に現在地に移転。天正十八年(一五九〇)佐竹義宣に大掾氏は滅ぼされ、清涼寺も焼失。その後義宣の伯父南義尚によって文禄元年(一五九二)に再建された。山門に市中禅林の扁額が掲げてあるが、ここは昔、地方僧侶が集合して修行する僧堂でもあった。現在の庫裡中庭には二基の茨城廃寺の礎石が伝わっている。平成十年には、代表作「鉄腕アトム」で知られる漫画家、故手塚治虫氏の先祖が江戸時代の府中藩(現在の石岡市)の藩医であったことが判明し、先祖の血筋を引く墓も現存していることが確認された。手塚治虫氏は、今年生誕八十周年を迎え、いろいろな記念イベントも行われています。
H金刀比羅神社
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鎮座地、国府六丁目二ノ一.祭神、大物主神、崇徳天皇。もとは香取神社、香取大権現堂などといわれ、現在、配祀となっている香取神社が発祥の社地。もともとは大掾家が軍神、守護神として、外城カンドリの地(当会報二七号に紹介)に香取神宮を勧請したことにはじまる。町の中央に鎮座し、海の守り神として銚子より平潟へかけて海浜の方々の崇敬による講中(神仏の信者のなかまの組合)などで賑わった。何回かの大火で焼失。昨年十月に現在の建物は再建。月の十日が祭り。十月十日大祭で出御する御輿は特に華麗。境内に妻恋稲荷神社(祭神、宇迦之魂命…うかのみたまのみこと、稲の豊作をつかさどる。産業の神)と淡島神社(祭神、少産名命…すくなびこなのみこと。婦人の病に効験があるといわれる)が祀られている。
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ここでちょっと寺社の紹介を一休みして、中町通りの昭和ロマンをご案内しましょう。中町通りには昭和四年の大火災後に建てられた登録文化財の建物が点在しています。登録文化財とは、築後五十年を経過し、歴史的景観に寄与し、地域で親しまれている珍しい形や優れたデザインを持つなど一定基準にあてはまる建造物で、活用しながら次の世代に伝えていくということを目的としている制度です。道路に面している五軒の建物をご紹介しましょう。
○丁子屋(ちょうしや)
江戸時代末期に建てられた染物屋(現在は観光施設「まち蔵藍」)。木造二階建てで昭和四年の大火にも焼失を免れ、商家建築では現存する唯一の建物。喫茶室もあり、丁寧な和のおもてなしに心洗われます。二階の見学もできます。
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○福島屋砂糖店
昭和六年に建てられた砂糖問屋。木造二階建ての商家建築。土蔵造りの壁が土壁漆喰塗りではなくコンクリートでできているのが大変珍しく、黒塗りの外壁が外観に重厚さを与えています。昔懐かしい砂糖を一般の人でも求めることができます。
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○久松商店
昭和五年ごろに建てられた化粧品、雑貨店。木造二階建ての看板建築(現在は喫茶店)ドイツ下見板張りの正面外壁は、銅板が貼られている。この銅板は、戦時中に供出された。その事実を示すものとして東条英機からの感謝状が今も残されてある。現在の外壁銅板は三年前くらいに張り直されたものである。残念ながら、只今、喫茶店はお休み中で、再開を願う声が多い。
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○十七屋商店
昭和五年に建てられた履物屋。木造二階建ての看板建築。二階は持送風の柱頭飾りを中心にして縦長の連窓を左右に配する。昭和四年の大火後この地で最初に再建され、この地区における看板建築の先駆けとなった。現在も昔のお話をたっぷりと聞かせてくれる看板おばちゃんの優しい笑顔がお迎えしてくれます。
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○すがや化粧品店
昭和五年頃に建てられた雑貨店(現在は化粧品店)で、木造二階建ての看板建築。屋号を冠したペディメント、コリント・イオニア様式風の柱頭飾りなどの重厚な外観でこの地区における看板建築の秀逸なもののひとつです。重厚な外観と清楚な化粧品の構えとがマッチして上品さが感じられます。
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○きそば東京庵
昭和七年頃に建てられた蕎麦屋。木造二階建ての和風食堂建築。戦後座敷部分を取り払い、土間にテーブルと椅子を置いて客用の空間とした。数寄屋風の洒落た意匠は、この地域では珍しい。蕎麦通の常連の方が多いと聞きます。お洒落な佇まいと美味しいお蕎麦をお楽しみください。
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○森戸文四郎商店
昭和五年頃に建てられた飼料店(現在は生花店)で木造二階建ての看板建築。柱のレリーフ、縦長の窓、褐色タイルなど全体にアールデコ調の外観は正面を洋風の意匠で飾る看板建築の好例である。思う人への贈り物にお花をどうぞ。
以上が中町通りに面した昭和レトロな登録文化財のご案内でした。
さて、森戸商店さんを前進、信号のある履物店より神社通り(市民会館へ)に入り、間もなくの十字路を右へ約二十メートル。
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I本浄寺
所在地、府中二丁目四ノ三九。宗派、浄土真宗、東本願寺大谷派。本尊、阿弥陀如来。寺の創建は、天平宝字年間(七五七〜七六四)で開基者は順誓法橋という人で、場所は尼寺ヶ原。建歴二年(一二一二)に親鸞上人が常陸国に衆生化益のために布教、鹿島神宮に数回参籠の途中、この寺に立ち寄っている。
その時の住職、信円法眼は、親鸞の年仏門に帰依し、真言宗を浄土真宗に改宗。天正八年(一五八〇)、火災の為焼失。慶長十七年(一六一一)甲田三郎兵衛藤原宗旭という人が尼寺ヶ原の地より現在の地に再建。
天保三年、弘化二年、明治三年と三度焼失。明治十一年三月に造営を行い、大正六年の暴風雨の為大破。大正七年に古寺を購入、改築した。本堂は珍しい「おがみ鬼形式」の屋根である。寺宝は親鸞上人直筆の「袈裟掛名号」。 |
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以上、今回は、登録文化財を加えてのご紹介となりました。
※参考資料 石岡市史(上)
断崖に連なる 赤、青、黄
攀じ登っても
よじのぼっても
絶壁 ちえこ(八ヶ岳にて)
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