歴史ガイドに同行して(6)
兼平ちえこ (2008.10)
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テンツク テンツク
やさしく 優しく 家内安全
笑って 笑って 無病息災
勇み 盛んに 五穀豊穣
大口開いて 悪霊退散 ちえこ
九月十三、十四、十五日、石岡の熱い三日間の余韻が初冬のつゆ(寒露)となって消えて行きます。今年のお祭りは十四、十五日とアンケート調査のお手伝いをしながらの見学になりました。町並みの寺社も心開いてお祝いムード一色。今年のアンケート調査の中で以前二回ほどお手伝いした時にはなかったご意見が三件ほどありました。
「是非、石岡のお祭りは継続してほしい」「このご時勢に年番町は大変でしょうが一町も欠けることのないよう頑張ってほしい」(元年番町に住んでいた方より)「人と人のつながりが薄い今の世の中多くの人達とお祭りを共有する雰囲気が心のよりどころになるはずです」…とのことでした。
『人がいるから大好き』
私にとって心暖まるご意見に、石岡市民として、ちょっぴり誇りを感じさせていただきました。
今回も「常陸国風土記を歩く会」の皆さんへご案内した、寺社を中心としたコースD北向観音堂 E平福寺 F日天宮をご紹介して行きましょう。
D北向観音堂
所在地は国府五丁目。常光院より、金丸寿通りに戻り、点滅信号に向かって、六号国道にぬける国府公民館通りに出ます。
「富田北向十一面観音」の標記が目に着きます。入り口に向かって左側には平福寺入口、右側は江戸末期創業の造り酒屋。ご本尊は、安産、子育て、厄除けの効き目があるという十一面観世音菩薩。町内には市指定有形文化財、鰐口(わにぐち…社寺の堂の軒下にかけ、前に垂らした綱を引いて祈願のために打ち鳴らす、日本独特の青銅製、鉄製の鳴器)や、県指定有形文化財「富田のささら」の獅子、三頭が保存されている。
「富田のささら」は、石岡のおまつりで神輿の露払いの先頭に立つもので、黒漆を塗り、目、歯に金箔を施した老獅子、若獅子、女獅子の三匹の獅子の舞う姿は愛くるしく魅力があるものです。 |
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「鰐口」については、日本に現存する最古のものは長保三年(一〇〇一)のもので、ここの鰐口は天仁年間(一一〇八〜一一一〇)と記されていたといわれ、県内では最古のものとされている。昔「神宮寺」という寺が総社宮の付近に建てられ、元禄年間に富田町に移り、その後、今の場所に建てられ、現在はその観音堂のみが残っており、鰐口はその神宮寺(点滅信号の道路を越え、観音堂まで行く中ほど、道路際、右側に神宮寺橋と彫られた石橋が見過ごすほどの大きさで、遺跡が現存しており、往時をしのぶことが出来ます)にあったものとされている。現在は、毎月十七日にご開帳。午前九時から十六時迄。そして、毎年七月第四週の日曜日には、護摩たき縁日として行われている。
E平福寺
春林山平福寺と称し、宗派は曹洞宗。ご本尊は如意輪観音菩薩。当寺は常陸大掾氏の菩提寺として知られる。境内には常陸大掾氏墓所があり、十五基の五輪塔は平安時代から戦国時代まで常陸国に勢力を誇った大掾氏代々の墓塔といわれている。本堂正面には明治二十七年、重野安繹教授撰文の
「常陸大掾氏碑」がある。高さ三、二メートル、一〇七二文字の長文である。また昭和五四年十月に円空作と鑑定された大黒天像(市指定有形文化財)はナタ彫りと呼ばれている。彫り方と微笑みの表情が特徴で、県内で円空作が発見されたのは非常に珍しく、東北遊行の途中に石岡に立ち寄って作ったものと思われる。
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F日天宮
平福寺より北向観音堂にもどり、主屋、長屋門、文庫蔵、仕込蔵、釜場、春屋(つきや)の七棟の登録文化財を保持する府中誉酒造の前を通り、間もなく三五五線、笠間通りに出て、左に折れ、サッシ屋さん側を右に折れ、左側は駐車場。過ぎると左折、約百メートル右側奥まったところに鎮座しています。
鎮座地、国府七丁目。祭神天照大神。小さな石橋を渡ると御影石で造られた神明鳥居形式の大鳥居があり、間もなく小鳥居がある。正面には間口三間の日天宮社殿、裏に奥の院がある。左には稲荷大明神、右に御嶽大神宮(源義家の絵馬を掲ぐ)、そして正教霊神(権現様)がある。境内には、府中六木の一つに数えられた樹齢七〜八〇〇年と言われた「日天宮の大欅」は今はなく、二代目の欅が真っ直ぐに空をさし、境内を見守っているかのようです。国府がおかれた時代「日、月、星」を祭った「府中三光の宮」が造られ、その一つである。
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来月は中町通りを中心としてご案内いたします。
参考資料・石岡市史(上)「石岡の歴史と文化」
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