home

目次戻り  

歴史ガイドに同行して(2)      兼平ちえこ  (2008.6)

 先月、五月号より、去る四月十二日に行なわれた「霞ヶ浦、常陸風土記を歩く会」の皆さんへのご案内コースを紹介していますが、今月は、C萬福寺 Dきんちゃく石 E茨城発祥の地 F十一面観音堂 までをお話ししましょう。

 C萬福寺

 ばらき台地を見守るように佇んでいる萬福寺は、西暦一四八〇年常陸国の在庁官であった税所(さいしょ)貞成が開基となり、以来、税所氏の菩提寺として開山されたと言われる。税所氏(府中六名家)は、平安、鎌倉時代に国内の正税(年貢米)や官物(官の所有物)の収納を司る官職で、後に職名を姓とするようになった。

 萬福寺の宗派は曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。寺宝として阿弥陀如来三尊像(県指定、銅造)が安置されている。境内の裏には税所氏の墓地五輪塔数基が存在している。

 Dきんちゃく石

 萬福寺の左、脇道を約二十メートル入っていくと、畑の中に「きんちゃく石」の立て看板が目に付きます。

 昔、石岡の染谷と村上にある龍神山には、雄龍と雌龍の夫婦が棲んでいた。村の人達は龍神様が籠っている山として、詣でていた。しかし、その尊敬する龍神山に、茨城童子という人間の何十倍も大きな巨人が棲んでいて、夜半に村里に下りてきて人間をつかまえては食べていた。童子は、つかまえた人間を入れる大きな巾着袋を腰に下げており、袋に捕まえた人間を入れるとその口を大きな石の根締めでくくっていた。

 近郷の子供達は茨城童子と聞いただけで震え上がった。そのような茨城童子だが、ある時、西の方の国から茨城童子を征伐に来るという噂が伝わってきた。それを聞いた茨城童子は、すっかり驚いて、裏の方にある三角山を飛び越えて何れかへ逃げ去ってしまった。その時、腰に下げた巾着袋が邪魔だと放り投げた。はずみで巾着の根締めは萬福寺の辺りまで飛んできて、畑にめり込んだのだ。一一〇センチ角もある大きな根締めは、今でも萬福寺のそばの畑に眠っている。(石岡の民話より) 民話に出てくる巾着石は、茨城廃寺の五重塔の露盤(塔の一番上で方形の屋根を押さえ、飾りの相輪を通す穴が開いている石)である。

 まさに、畑に突きささっているように置かれてあります。個人の地主の畑の中ですので荒らすことのないようにと願いました。

 E「茨城」発祥の地

 きんちゃく石を後にして、ばらき台交差点に戻り、右に進む。スーパーの駐車場を通り越しますと左側に、茨城発祥の地を説明する看板があります。しかし、残念ながら文字は風雪に曝されて判読が困難です。

 「茨城」と言う地名の発祥の地は、石岡市茨城付近といわれている。その由来について常陸国風土記(七一三年、元明天皇の詔に基づいて土地の伝承、名前の由来、気候や地形等、その土地の風土が記されたもので、藤原宇合(うまかい…藤原鎌足の孫)を中心として編さん完成させた)では次のように記されている。

 太古の昔、西に紫の峰を望み、南に入海をひかえた平野に住む人々は、海の幸、山の幸に恵まれ、豊な暮らしを続けていた。ところが、この広野の中ほどに「山の佐伯」「野の佐伯」という土ぐもがいた。この土ぐもは、人々の住む、平野を荒らし回っていた。彼らは洞窟に住み、平和な暮らしを脅かしたと言う。この為、都から来た長官、黒坂の命(くろさかのみこと)が、この土ぐもを退治しようと計略を巡らし、彼等が穴を出て、山野にいるときを見計らって野の茨(野ばら、からたち等棘のある低木の総称)を集め、穴の入口に立てて塞いでしまった。黒坂の命は、騎馬の兵士達を差し向け、激しく追ったところ、いつものように身軽に走って、穴の中に潜りこもうとして、茨に突き当たり、ひっかかったりして、茨の棘が体に突き刺さって傷を負い、その為病気になったり、死んだりして、とうとう滅亡してしまったという。

 このように、土ぐもを茨によって退治したことから茨城という地名が残った。

 この伝説から考えると、茨城県の県花はバラの花。納得できます。

 F十一面観音堂

 通り越してきたスーパーの駐車場へ戻り、越えたところを右に入る。民家や畑のある曲がりくねった、古道を思わせる道を三分位下がる。田島公民館(左側)通りに出る。右へ曲がりまもなく田島一丁目十二の表示のところを左へ、約四〇メートルのT字路を右カーブしながら民家の間のゆるやかな登りを行くと、右側に十一面観音堂。十一面観音坐像(木造、市指定文化財)は、天台宗廻向山三面寺(廃寺)の本尊で、鎌倉末期から、南北朝初期のものと思われ、穏やかな、天衣の表現、全体に安定感のあるつくりとなっている。

 ご開帳は、正月、二月の節分、五月一日といずれも午前五時半から十時まで。今回は、特別にご開帳頂きました。その地区の皆さんの手厚い保護のもとに鎮座する観音さまの慈悲の心をもった端正な面相が印象的でした。

 今月は、ここまで。来月は茨城廃寺礎石から出発し、ご紹介いたします。

(参考資料)

「貝地の昔話」貝地町公民館落成記念誌  

「石岡の歴史と文化」石岡市歴史ボランティアの会編 

 

 美味! 若みどり (ちえこ)