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歴史ガイドに同行して(14)      兼平ちえこ  (2009.9)

 先月(ふるさと風、39)より、常陸国風土記を歩く会の皆さんへのご案内は、染谷地区に入りました。今回は(22)染谷鹿島神社、(23)金山池、(24)波付岩をご紹介しましょう。

 先ず、染谷地区について「石岡市史(上)」と「石岡の地名」を参考にしながらご紹介します。

 

 長い幕府政治が終わりを告げ明治維新を迎えた、明治二年に府中平村は、石岡町と改称されました。六年後の明治八年には茨城県が成立。そして明治二十二年には市町村制実施によって、石岡、高浜に役場が開設され、石川村と井関村は合併して関川村となり、染谷と村上の二村は合併して石岡町に編入された。

 昭和に入り、戦争という悲しく不幸な出来事を乗り越え、昭和二十八年には石岡町に高浜町を編入し、翌年、昭和二十九年、三村、関川両村も編入され石岡市が誕生しました。

 明治二十二年の「町村制」によって石岡町に編入された染谷地区は、元禄年間まで府中領の内、のち旗本・皆川氏の知行所となる。

 昭和三十五年の深谷重雄「石岡府中部落地名考證」によりますと、日本地名大辞書に依り国府の地及び城下の地を研べてみると、国府及城下より遠くない所に羽鳥、服織、調布等の地がある。布を織った所や又其の附近に布を染めた地があるものであると言う。

 布を染めることを業としたこの地の染谷も布を染めた地であって其の名が出来た、遠くない所に羽鳥と言う地もある。この部落に高野川と言う川(龍神山と波付岩の中間の斜面に源を発し、波付岩東麓の金山池を経て南流し染谷と粟田の中間を流れて恋瀬川に流入する)がある。昔は村上の里に染屋(コウヤ…染め物屋)がありこの川に来て巾を漂したと傳う、後にこの人達この部落に移り住む。この地、恋瀬川流域に添え耕地が多いので藍を作り染め物を業とし其の業栄え大部落となる。事実當部落は明治末期まで藍を造っていた。この地亦傳説多し。

 この記述に大変興味が湧き、染谷地区に住む方、教育委員会の方、何人かにお尋ねしましたが、現在のところ、染め物に関しての地名であったとの答えは得ることができませんでした。これからも折にふれ、染谷名について、特に染谷地区にお住まいの方で、お話し頂ける方にお会いしたいと願っております。

22)染谷鹿島神社

 鎮座地、石岡市染谷上ノ宮一〇一七(寳持院に隣接しています)。

創建不詳ながら武甕槌命を祭神とし、豊受姫命・市杵島姫命・足仲産命・気長足姫を併せ祀っている。

 境内は、5,4haあり、東北方の土塁を巡らし、後方に猿田彦命・金山彦・御嶽山・山国狭槌尊の石碑がある。施設は本殿流造り。手水舎の外に、天保十四年(一八四三)建立の鳥居がある。

 毎年十月十五日には例祭が行われる。  

 

 

  

 23)金山池

 恋瀬川から、染谷と粟田の間を北に向かって開かれた谷津の頭に堤を築いてつくられた池である。現在は常陸風土記の丘内の水際公園として、古代大賀ハスやあやめ、そして桜、紫陽花、百合、コスモス等、季節の花々を水面に映し出し、入園者の目を一層楽しませてくれている。

 

 「ゴボゴボ池と狢」

 龍神山の中腹に狢穴があり、この古狢はときおり人を化かし、人が道を通ると、東の空に月が上りかけているのに、その反対側の空に月を出して通行人に石を投げられ、あわてて木からとびおり藪に逃げ込むなど、あわてぼうの間抜狢である。或日の夕暮れどき、龍神さま前にある金山池の辺りを通った人が、ふと池の方をみると、池の上にさし出た松のところに丸い、うす赤味をしたお月さまが出ている。通行人は馬鹿狢だなと覚り、根元の松の木の幹をゆり動かしたところ、松板にしがみついている。通行人は幹をゆすりながら大声で「馬鹿狢!池におっこちろ」と叫ぶと、その大声におどろいたか、手足を外し、そのままドボンと水におちゴボゴボもがきながらとうとう溺死してしまったという。それ以来、狢の怨念が残ったのか、池の水はいつも、ゴボゴボと鳴っているのでこの池をゴボゴボ池と呼ぶようになったそうである。

 

  24)波付岩  

 所在地、染谷一五四八.常陸風土記の丘に近隣する石岡海洋センターの道路反対側の民家側の道路より下る。間もなく右側に金山池、そのまま進むこと徒歩五分位のところにあります。

 日本の旧石器時代は、数万年以上も前の氷河時代に始まった。この頃の日本列島は大陸と陸続きで、日本海は巨大な湖のようになっていた。このような時代、龍神山の山麓に残る波付岩まで海がせまり、海面と陸地との境界線であった。波付岩は、波止石ともいわれ、標高六十六メートルの岩山である。また波付岩の粘板岩は、古墳の石室の材料として利用されたことが知られているそうです。

 七月末に出向いた時には深緑と雑草に覆われ岩山を見ることが出来ず残念でした。訪れてくれる人の為にも整備して頂けたらと願いつつ、今回は終了いたします

  次回は、常陸風土記の丘、園内をご紹介したいと思います。

 

 ・いのち鳴き果たして 蝉ひとり

                                          ちえこ