(19)柏原池
石岡には台地を潤す三本の川が流れています。筑波山から加波山にかけての広い地域を源とする恋瀬川。旧八郷の難台山一帯を源としている園部川。そして龍神山周辺を水源とした山王川。その山王川の水源には龍神山周辺に降った雨水が細流
となって池となった柏原池があります。
江戸時代の古絵図には農業用水のため池として描かれてあり、国府、府中の水田を満たし、まちを支えて来ました。古くから、柏原池は、背景の龍神山とともに石岡の人々の憩いの場として親しまれていました。
明治の記録「石岡誌」によりますと『龍神山、当町の西端にして、染谷村上に跨る。四時の風光すこぶる絶佳にして、一度その山嶺に登らんか。東南の眼界広く、遥かに霞ケ浦を望み、西北は筑波山脈を限り沿麓の諸村点々眼中に落つ。その奇観言うべからざるものあり。されば、春は桜花に、秋は紅葉に遊賞するものすこぶる多し』とあります。しかし、それも「昭和の肖像」になりますと『石岡の自然の中で、柏原池からの龍神山を望む風景ほど変貌したものはないだろう。標高210メートルだった龍神山は、現在では砕石で中央が亡くなり標高163メートルに縮んでいる』となってしまっています。人の心で、人の手で変えてしまった美しい自然、風土。悲しい残像の光景となってしまいました。
柏原池は、昭和六十年に柏原池公園としてオープンしました。平成元年三月には、山口県宇部市常盤公園で飼育されていた黒鳥、白鳥を同市の厚意により譲り受け、現在では水鳥、鷲鳥、オシドリ、アヒル等も住みつき、滑稽さと、あどけない仕草に歓迎され、癒されます。また、遊歩道に並行して芝生の中には、東京都新島本村から寄贈されたモヤイ像が親しみをこめて、ウオーキング、散歩のみなさんをお迎えしています。
柏原池東側には、石製の弁財天社が鎮座している。昔は祭りも行われたが現在は廃止されているそうです。
(柏原池の若侍と美女の伝説)
府中大掾氏の時代、柏原池には絵にかいたような美しい女性が住んでいたという噂に若者達は一度逢ってみたいという好奇心で一杯であった。ある夜、美女が姿を現し、音色の美しい笛の音と共に姿を見せた美男の若侍と寄り添い、何を語り合うのか秋の夜は更け、池の水面は波一つないようであった。
翌朝若侍は死体となって水面に浮かんでいたという。美少女は龍神山の大蛇の化身で、若侍はそれに魅せられて死んだのである。里人はこれを憐れんで、ねんごろに葬り、祠を建て、冥福を祈ったという。 (石岡の歴史と文化、石岡市歴史ボランティアの会編より)
どうぞ春爛漫の桜花の時に、秋、鈴虫の唄う月夜の水面、お出かけ下さい。くれぐれも美少女には目もくれずお気をつけくださいませ。
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