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歴史ガイドに同行して(13)      兼平ちえこ  (2009.8)

 昨年、平成二十年四月、五月、六月の各月一回行われた常陸国風土記を歩く会の皆さんへのご案内は、六月に行われた最終コース、柏原池、染谷、村上地区に入ります。今回は、19)柏原池、(20)大乗妙典日本廻国供養碑(だいじょうみょうてんにほんかいこくくようひ)、(21)寶持院をご紹介しましょう。

19柏原池

 石岡には台地を潤す三本の川が流れています。筑波山から加波山にかけての広い地域を源とする恋瀬川。旧八郷の難台山一帯を源としている園部川。そして龍神山周辺を水源とした山王川。その山王川の水源には龍神山周辺に降った雨水が細流

となって池となった柏原池があります。

 江戸時代の古絵図には農業用水のため池として描かれてあり、国府、府中の水田を満たし、まちを支えて来ました。古くから、柏原池は、背景の龍神山とともに石岡の人々の憩いの場として親しまれていました。

 明治の記録「石岡誌」によりますと『龍神山、当町の西端にして、染谷村上に跨る。四時の風光すこぶる絶佳にして、一度その山嶺に登らんか。東南の眼界広く、遥かに霞ケ浦を望み、西北は筑波山脈を限り沿麓の諸村点々眼中に落つ。その奇観言うべからざるものあり。されば、春は桜花に、秋は紅葉に遊賞するものすこぶる多し』とあります。しかし、それも「昭和の肖像」になりますと『石岡の自然の中で、柏原池からの龍神山を望む風景ほど変貌したものはないだろう。標高210メートルだった龍神山は、現在では砕石で中央が亡くなり標高163メートルに縮んでいる』となってしまっています。人の心で、人の手で変えてしまった美しい自然、風土。悲しい残像の光景となってしまいました。

 柏原池は、昭和六十年に柏原池公園としてオープンしました。平成元年三月には、山口県宇部市常盤公園で飼育されていた黒鳥、白鳥を同市の厚意により譲り受け、現在では水鳥、鷲鳥、オシドリ、アヒル等も住みつき、滑稽さと、あどけない仕草に歓迎され、癒されます。また、遊歩道に並行して芝生の中には、東京都新島本村から寄贈されたモヤイ像が親しみをこめて、ウオーキング、散歩のみなさんをお迎えしています。

 柏原池東側には、石製の弁財天社が鎮座している。昔は祭りも行われたが現在は廃止されているそうです。

 

(柏原池の若侍と美女の伝説)

 府中大掾氏の時代、柏原池には絵にかいたような美しい女性が住んでいたという噂に若者達は一度逢ってみたいという好奇心で一杯であった。ある夜、美女が姿を現し、音色の美しい笛の音と共に姿を見せた美男の若侍と寄り添い、何を語り合うのか秋の夜は更け、池の水面は波一つないようであった。

 翌朝若侍は死体となって水面に浮かんでいたという。美少女は龍神山の大蛇の化身で、若侍はそれに魅せられて死んだのである。里人はこれを憐れんで、ねんごろに葬り、祠を建て、冥福を祈ったという。
(石岡の歴史と文化、石岡市歴史ボランティアの会編より)

 どうぞ春爛漫の桜花の時に、秋、鈴虫の唄う月夜の水面、お出かけ下さい。くれぐれも美少女には目もくれずお気をつけくださいませ。

  

 20)大乗妙典日本廻国供養碑

 柏原池公園より風土記の丘へ向かう、柿岡街道との信号のある十字路を渡り、風土記の丘への新道を進む途中、明るい茶色壁の民家より左に折れる。谷津田が広がり、染谷地区の民家が点在。柏原池公園から徒歩25分位で染谷集落センター駐車場へ到着。右カーブを進むと、まもなく供養碑案内が右側にあることを示している。

 市指定有形文化財(歴史資料)、昭和五十八年七月二十八日指定。所在地、染谷1の111の2。

 この碑に刻まれている六十六部(六部)とは、法華経を書写し、全国六十六箇所の神社仏閣をめぐって、その法華経を奉納する行脚僧をいう。その起源については明らかではないが、中世から近世にかけて巡礼の流行とともなって生じたものと考えられる。伝承では、この碑は須賀田庄右門が自ら日本廻国の成就を記念し、元禄七年(一六九四)に建立したものといわれている。現在もこのあたりは六部台と呼ばれ、六十六部との関連が知られる。

 大乗妙典廻国供養碑で詳細な日本地図が線刻されたものは、全国的にもめずらしい。(石岡市教育委員会案内板より)

 個人のお墓の中に置かれてありますのでご迷惑となりませぬようにご覧下さい。

 

 (21)寶持院 

 供養碑より下り坂進むと十字路、左へ。ほどなくして左側に金剛山寶持院の石門。

 所在地、染谷986。山院寺号、金剛山密厳寺寶持院。宗派、真言宗豊山派。本尊、聖観世音菩薩。文安元年(一四四四)二月、宥瓣上人の開基。何回かの火災に会い京保一七年(一七三二)高根台の地から現在地に移転。幕末の天狗騒動の時にも火災に遭った。府中城主皆川山城守の弟の墓がある。また、往時の遺跡を伝える多数の供養塔があり、染谷、高倉、粟田等の善男善女による観音信仰が高まったことを窺い知ることができる。  

  今回はこの辺でひと休みといたし、次回は染谷鹿島神社、波付岩へと進めてまいります。

 

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                                          ちえこ