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歴史随筆(8)      打田 昇三  (2008.11.1)

 

巨人伝説   2008.11.1

 石岡市史が伝える「龍神山と茨城童子」の鬼こと茨城童子は、人間を捕えて腰の巾着(きんちゃく)袋に入れ大石の根付( つけ)で留めていた程の大男だが図体(ずうたい)の割には弱く、源頼光が征伐に来ると聞いただけで逃げだす独活(うど)の大木だった。

 その頃の常陸国は長官が村上天皇皇子の昭平(あきひら)親王だが都に居り、石岡には常陸介(ひたちのすけ)の藤原信通が赴任していた。任終えて帰ろうとした時に春の嵐で海が荒れ東西の浜(不明)には巨人の死体が漂着した。

鮫に食われてはいたが体つきは女性だったらしい。この話は「今昔物語集」にある。 

「常陸国風土記」には龍神山に伝わる「時臥山( れふしやま)の蛇神伝説」の前に、貝塚にまつわる「大櫛の丘」の巨人伝説があり足跡が人間の30倍と記録されている。

佐渡島など日本海に面した海岸に大陸から巨人が漂着した話は聞くのだが太平洋側はどうなのか?

 日本の歴史は王権争いの度に書き換えられ真実は伝えられていないが、どうも天智天皇時代の「白村江(はくすきのえ)の敗戦」で第二次世界大戦後のように大陸から進駐軍が来たらしい。 

巨人と言うのは大げさだが、大陸系の大男大女が日本に来ていた可能性はある。