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歴史随筆(6)      打田 昇三  (2008.4.1)

 

子規の宿    2008.4.1 

 正岡子規が水戸紀行で「二日路は筑波にそふて日ぞ長き」の句を詠んだと常陽文の記事にあった。

菊地謙二郎を訪ねて水戸まで三十里を歩いたのだが、この時の無理から不治の病床に臥したという。 

未だ常磐線は無い明治22年4月3日、友人と本郷を発ち藤代で一泊した。

4日は朝から春雨模様だったが石岡まで歩いて府中二丁目(現)の旅館「万(よろず)(萬)屋」に辿り着く。写真で見ると、まちかど情報センターの駐車場がその場所になる。

 「万屋は石岡中の第一等の旅店なり。さまで美しくはあらねどもてなしも厚き故藤代にくらぶれば数段上と覚えたり」と道中記に書いているとか。萬屋は常磐線開通後に駅前支店もあった。主の名は増三という。

子規が泊った十数年後の広告に「取扱丁ていねい)料金廉(やす・交通便眺望佳絶・客の心を慰める」とあるのは本当だったようだ。

 4月5日は朝から晴天、萬屋の窓から西に筑波山が望めるから、子規も広告どおりに心を慰められ、藤代からは雨に濡れたのを忘れて石岡を出るときには「二日路は…」の句想が出来ていたように思われる。

子規の評価が高まる時代、萬屋跡に案内板ぐらいは欲しい。