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歴史随筆(4)      打田 昇三  (2007.9.1)

 

戸城と江戸氏  2007.9.1

「水戸城は佐竹氏による16世紀の大改修で近世城郭になった」とする定説が発掘調査で覆り、江戸氏の整備説が浮上したらしい。

掾(だいじょう)満幹の本城だった水戸城は、上杉禅秀の乱に加担した罪で江戸氏に所有権が移され、満幹が青屋神社祭礼で石岡に来ていた間に奪われたのだから、取り返されることを恐れた江戸氏が大改造を行ったことは予測される。       

 地域エゴで考えれば、石岡の名門・大氏衰退の原因を作った江戸氏に触れたくないが、石岡が徳川家門となった初代藩主・松平頼隆の祖母(英勝院)は、江戸氏とする説がある。

一般には太田道の子孫と言われており江戸氏から太田氏の養女になったのだという。          

 証拠は示せないが私は逆だと思っている。戦国の世とは言え英勝院の父・太田康資は合戦で義父の遠山直景と戦い討ち取っている。徳川家康は男勝りで才媛の英勝院を寵愛し、経歴に傷をつけないように、佐竹に滅ぼされた水戸城主・江戸重通の息女としたのではなかろうか。

重通は家康に拾われ、結城秀康(家康の二男)に仕えて越前へ赴いたと伝えられる。