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歴史随筆(25)      打田 昇三  (2010.12.1)

  

 有明の松

         打田 昇三

 

 笠間つくば県道の途中にある「有明の松」の由来は「八郷町誌」に掲載されていたが、合併前に出された「町史」では合戦に関わった武将たちに話題が移っていて、地元に残る伝承に触れていないのは残念である。

現場の案内も古くなって文字が読みにくい。 

 戦時中は美化されていた籠城(ろうじょう)の経緯も世代が変わって理解され難くはなっているが、難台山城から脱出してきた人たちの子孫は山向こうの郷に現存されると聞いた。

 当時、寄せ手の大軍は山の東面を主に布陣していたから、城を出た一行は山麓を避け山頂を目指して険しい道を登り、其処から闇の中を西に下りて来た、と「町史」は伝える。

その辺りは小田領内であったろうから、恋瀬川上流地域に暫く匿(かくま)われてから包囲軍が居なくなった道祖神峠を越えて同族宍戸(ししど)氏の領内に隠れ住んだものと推測する。

 山城からの脱出となれば誰でも先ず下山を考えるところ、逆に困難な山頂を目指したことが一行を無事に救ったのは何か人生の教訓めいているが、祖先が残してくれた話には無駄なものは無い…。

そのうちに「有明の松」など、誰も知らなくなってしまうのであろう。

時代の流れとは言え淋しい。