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歴史随筆(20)      打田 昇三  (2010.7.1)

 

 祭祀の美学

 御前山から四十キロほど上流の那珂川右岸に日本三古碑の一つ那須国造碑と古墳群がある。

そこは水戸藩領だったので、光圀は事跡解明の為に地元庄屋に発掘調査をさせた。

期待した成果は望めなかったのだが、直ちに出土品を埋め戻し墳丘を整備した。

それにより「侍さむらいづか古墳(上下)」が補完され、遺跡保存の先駆事業と称えられている。

 光圀は墓前祭を行い「死者の安寧を妨げたことを詫び、安らかに眠ることを祈る」弔文を書いて読ませた。

これが天下の名文と伝えられており、現代の著名な考古学の先生方から「古墳に対するあるべき姿(行為)」として称賛されている。

 特に「失われた九州王朝」など独特の歴史学を展開される古田史学会の古田武彦先生は「死者への礼にはじまり、礼に終る。

発掘以前より、さらに美しく荘厳に、これを祭りつづける」ことが義務であり「人類普遍の姿」だとして、徳川光圀の名文を主要外国語に

翻訳したい、もちろん日本の教科書にも掲載してほしい、と述べておられる。

 光圀公生地である常陸国、その県民意識はどうなのであろうか気になるが…。

舟塚山古墳も盗掘されたと聞く。