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歴史随筆(2)      打田 昇三  (2007.5.1)

 

酒泉伝説   2007.5.1

 村上地区に残る「子は 清水 」の話は酒好きな父親と暮らす貧しい孝行息子のために泉の水が諸白(もろはく 上酒)に変わるという養老の滝伝説の普及版であり珍しくはないが、物語の定着する場所は古代から神がられた聖なる泉に限られるという。

つまり「醸造」の語源である「かもす」という原始的な方法で神様のために酒造りが行われた霊地の跡になる。

 その関係かどうか、かつて石岡は県下第一の醸造の町だった。明治中期には清酒・醤油の醸造業が十六、七軒あり、第二位の下妻・結城(各酒造五軒)を遥かに凌いでいた。

 元来、龍神山には酒の神である白蛇をる三輪山神話が伝わり、山地山麓から湧き出る聖水は高根川となって恋瀬に流入していたから古代酒造の条件は揃っている。

やがて醸造業は市街地に移り、高根川の水で染物が始められて染谷(染屋)の集落に発展する。

 泉のある場所の全てに「子は 清水 」の話が伝わる訳ではなく石岡には龍神山があったからなのだが……史跡や伝説を棒読みで伝えるだけでなく、その元になるものを広い視野で残していかないと「歴史の里も看板倒れになるぞ」と居場所を失った白蛇が叫んでいる?