馬丁の手柄(2010.1.1) 「八郷町史」にも記録されている「手葡蔔坂(てばいざか)合戦」は、永禄十二年春に攻めて来た四千の小田軍を片野城の太田三楽斉たちが撃退して小田氏滅亡に追い込んだ戦である。 この時に真壁城から援軍が来て劣勢の片野・柿岡軍を助けた。 真壁氏幹の息子二人は初陣であり、城主から頼まれて老臣の坂本信濃守が介添えしていた。 真壁兄弟は、それぞれ組み討ちで敵を倒したのだが、兄の広幹は強敵に出会い危うくなった。救ったのは従者である。 その者は主の馬の手綱を執る馬丁であったから城主は「芝内膳正」と名乗らせて武士に取り立てた。 この話は「関八州古戦録」に「常州乙幡(小幡)合戦の事」として載せられており、馬丁の身分を「龍」の字の左に「有」を付けた文字で「くちつき」としている。 出世に繋がる手柄で「龍」の字を使うと思ったが、大漢和辞典によれば「籠絡(ろうらく)(丸め込む)」の「籠」に替えて「有+龍」を当てたもので「馬を牽く」意味もあるとか。騙されるように戦わされた馬は気の毒だが、主が手柄を立てた話だから我慢して貰うしかない。
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