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歴史随筆(15)      打田 昇三  (2009.12.1)

 

石岡神社    2009.12.1

 道後温泉に伊予国風土記に依る聖徳太子入湯伝説があり松山の郷土史家で有名史学会の世話人を兼ねる合田洋一さんは風土記「湯ノ国の碑文」記載の特別な年号から虚説を否定し「新設伊予の古代」を著した。

調査の過程で西条市に大師堂を持つ名水を訪ね、それこそが碑文で「神井」とされた泉であろうとする意見を会報に発表した。

 史料を頂いた私は敬服し且つ考えてみた。神井の水は酒造りに使われる。

1qばかり南の橘島は「いさにはの岡」と呼ばれて祭ケ丘古墳が在り古代から「石岡(いわおか)神社」がられていた。「いさには」とは「祭り広場」のことだとか。酒は祭に不可欠だった。

 伊予国には斎明天皇の朝廷が置かれ「白村江(はくすきのえ)の敗戦」で日本が大陸王朝支配に変った原点に当る。

石岡市は龍神山に「三輪山伝説」を持ち酒造を伴う泉が湧く。

伊予の石岡神社創建に藤原氏が祖とする武内宿禰が関わり、鹿島神宮に藤原氏出身地説があって、石岡市(常陸国府)で藤原宇合(うまかい)が常陸国風土記を創作したとすれば「石岡」の二字には藤原氏の影響による地名の東遷が考えられないか?

 市の名称が「石の岡」由来では淋しく「歴史の里」には合わない。昔を見直しては…