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歴史随筆(13)      打田 昇三  (2009.8.1)

 

埋もれた名城    2009.8.1

 徳川家康の「一国一城令」で多くの名城が毀(こわ)されたけれども、常陸国府跡に在った府中城は天正十八年に落城したまゝ廃になっていたのであろうか。

本丸の「瓢箪(ひょうたん)池」にまつわる「鈴が池片目の魚」伝説が石岡市史に収録されているだけで跡形も無く、その伝説さえ一般には知られていないのは淋しい。

 城下町全体を堀などで囲み要塞(ようさい)のようにしたものを「都城形式」と呼ぶのだそうで、県内では府中城以外に無い。その為と思われるが土(いと)城、多賀城と共に日本の三名古城と言われていたと聞いたことがある。

 私有地になって城跡保存が難かしいことは分かるが、近くに残る「陣屋門」は各地に何百とあったものが大切にされている。その半分でも名城跡に配慮すべきであろう。

 「歴史の里」とは現存する物件だけを大切にすることでは無い筈で、水戸市内には幕末の英雄が泊った宿の跡に案内板があった。

 この際、石岡市全域の史跡や伝承を見直し、埋もれた歴史を明らかにする必要があるのではないか…。それが観光地石岡の為にもなる。