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歴史随筆(11)      打田 昇三  (2009.4.1)

 

山根五十三か村   2009.4.1

 平成の大合併は落ち着いたが「道州制」の噂もあり油断は出来ない。住民無視の政治的合併は併(弊)害である。

大合併は昭和と明治にもあり三度目となると昔の村々の名前が消される恐れがあったのだが、石岡・八郷の合併では「山根五十三か村」が残されているようで良かった。

 昭和三十年に「一町七か村で八郷町」と分かり易い合併をしたのは明治十一年に連合して一つの行政区になり更に明治二十一年の「市町村制」で誕生した町村であった。

 五十三か村のうち染谷と村上が石岡町に入ったほかは山根五十一か村の多くが昔からの名称で「八郷」に残り、葦穂村の上曾( わそ)、小山田、小屋そして鯨岡(くじらおか)内(むじなうち)、吉生(よしう)、小倉と共に戦国時代からあった「上山(かみやま)」が小屋に併合された程度の変化で済んでいる。 

明治の大合併では、住民の生活の場を無視した結果、国が決めた相手を嫌って反対運動が起こった町村が近隣にある。

全員が喜ぶ施策は困難であろうけれど、最小限「合併の意義」を全住民が理解しなければ併(弊)害になることを政治家に知っておいて貰いたいものである。