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風に吹かれて(09-8)      白井啓治  (2009.8)

  

『もう若こうはない恋雨のいそぎ降れ』

 

 まだ自分自身の対岸が確りと自覚できないでいると、どうしても焦り、とは違うがそれに似たような情態になってしまうものである。いろいろ思ってみても、青年期のように二兎も三兎も同時に追いかけ、可能性に挑戦してみることはやはり叶わない。

 最後に一つ、これが私だ、といえるであろうものに挑戦してみてはいるのであるが、その気力に体力がついていけない。そうなるとどうしても「恋雨よいそぎ降れ」などと呟いてみたくなるものである。

 六月、七月号と詩を載せたところ、古里の現状と合わせて読むととても悲しく寂しい詩でした、というメールを頂いた。特に七月号に載せた「寒蝉」は、希望というものの存在を否定するような印象を与えるものであっただろうと思う。しかし、ふるさとの現状を、恋(明日の希望)を希求する舞歌に表現し、そこに警鐘を鳴らそうと思って詠むと、やはり「寒蝉」がイメージされてしまう。

 今月は、落ち込むような悲観を持たれないような詩を紹介してみよう。昨年夏の公演に発表した「霞ヶ浦讃歌・風の姿」に挿入したものである。

 

 歓びの舞歌

 風よ

 あなたは物陰に暮らす私達に

 空の青と

 海の青と

 森の緑との中に

 歓びの暮らしを創ることを

 教えてくれました

   風よ

   あなたは流れる舞の姿

   だから私は

   あなたに

   感謝を舞にして捧げます

ひびけ心の声

とどけ心の声

私は大地の舞姫

  風よ

  あなたは暮らしの恵みを教えてくれる

  流れの舞姫

 

 この歌は、豊かな霞ヶ浦沿岸に自然と共存しながら暮らしを創っていた縄文人が、大陸からやって来て我こそが日本国唯一の大和民族などと勝手に称し、日本国の全部を我が物にしようとする輩の戦の大将である黒坂命、建借間命に滅ぼされる以前、縄文人が自然に感謝する舞歌として詠んだものである。大和民族こそが生粋の日本人であると信じ込んでいる人達には、些かショックかもしれないが、大和民族なんて朝鮮民族、大陸系民族、南方系民族の混血で、特に朝鮮民族の血が中心になっていると言える。つまり大和民族とは朝鮮系の混血民族なのである。この私だってそうである。

 純粋の日本人はというと、些か断定することが難しいが、縄文人の血をひくアイヌ民族ということになるのであろう。

世界で一番美しい表現力を持っていると言われている日本語も、中国から渡来した漢字に、朝鮮語の文法と純粋日本語と言えるかもしれないアイヌ語が融合し、生まれたと言える。

 歴史や文化についてを、垣根を取り外し、固定観念を捨てて考えてみると実に面白く、そこには未来への確かな道標としての物語が埋もれてあるものである。

 さて、今年の六月に「ふるさとの歴史・文化の再発見と創造を考える風の会」の会報も丸三年をクリアし、四年目に入った。同時に少し遅れて立ち上げた妹分の「ことば座」もこの十月で丸三年となり、四年目に入る。一つの活動に立ちはだかる三年の壁というのは、実に高いものがあり、揃って三年をクリアできることは、小生としては感慨ひとしおである。

 そこで十月には、合同で三周年記念に「ふるさと物語フェア―」と題したイベントでも開催しようかと思っている。何たって風の会とことば座には、色々な形で物語が降り止まぬ会なのだから。